第6回 ワンダーフォーゲル部
皆さんは日本で2番目に高い山をご存じであろうか。1番高い山は言うまでもなく標高3776mの富士山であるが、2番目は意外と知らない方が多いのではなかろうか。それは南アルプス(赤石山脈)の中でも北部に位置する標高3193mの北岳である。私は1967年、大学2年生の時にワンダーフォーゲル部(以降:ワンゲルと略す)の夏合宿として、この山に登った。周辺には北側に甲斐駒ヶ岳、北西に仙丈ヶ岳、東北東に鳳凰(ほうおう)3山など3000m前後の山々が野呂川の急峻な谷を隔ててそびえ立ち、南には間ノ岳(あいのだけ)や農鳥岳へ稜線が連なっている美しい山である。さらにその山頂からは雲海の向こう、雲の上に富士山がそのすばらしい姿を見せている。
新幹線は東京と大阪の間だけしか開通していない頃で、在来線の特急と普通電車を乗り継ぎ、さらに乗り合いバスに揺られて南アルプス白峰(しらね)三山(北岳、間ノ岳、農鳥岳)の登山口の奈良田に着いたのは福岡を朝早く出発した翌日の7月下旬の夕方であった。真夏の盛りの福岡に比べ、奈良田は随分涼しいところであった。翌朝から早速農鳥岳への登山を開始した。現在のような軽い登山具はなく、テントは帆布製で雨が降れば水を吸って何倍にも重くなり、便利な携帯食やインスタント食品もない頃であった。山の上での生活に必要な10日分の米、塩付けした肉、味噌や醤油などの他、タマネギやジャガイモなど比較的保存がきく野菜を生のまま持って山に入った。さらにホエーブス(携帯用ガスコンロ)とその燃料のガソリン、水、衣類、雨具、シェラフ(寝袋)、鍋などを併せると、一行10名程の各自が担ぐキスリング(旧式のザック)の重さは40㎏を超え、私の体重と大して変わらない位の重さであった。この重さになると、キスリングに仰向けに寝転ぶような格好になって肩ベルトに両手を通しても、到底自力では立ち上がれず、誰かに両手を前に引っ張ってもらってやっと立ち上がれる。その荷物を背負って最初の日に一気に2000m以上も登った。私は最後はふらふらになってしまい、荷物の一部を他のメンバーに背負ってもらって、やっとの思いで予定のキャンプ地に着いた。しかし、翌日からはすばらしい行程が続いた。午前3時には全員起きて朝食をとり、テントの回収などの出発準備をしても、まだ夜明け前で真っ暗な中を出発する。しばらく歩いていると周りが次第に明るくなって、朝焼けの山のかなたから太陽が昇ってくる。梅雨明け直後の一年中でも最も天候の安定した時期で、毎日快晴であった。周りの山々には一部に雪が残り、白と茶色い岩肌と緑との対比が美しい姿を見せていた。ハイマツの低い群落の稜線の道は、ところどころにキバナシャクナゲの花が道をふさぐ程の大群落となり、ライチョウが歓迎してくれた。ライチョウは人をあまり恐れないので、すぐ近くで見ることができる。但し、夏の天気の良い日は上昇気流が発生して、午後になると山頂近くでは決まって激しい夕立に襲われるので、雨が降り始める前にその日の予定地に着いて、テントを張っておかなければならない。農鳥岳から間ノ岳を経て北岳の稜線近くにテントを張ったのは福岡を出発して5日目であっただろうか。そこはまさに天上の楽園であった。お花畑には色とりどりの花が咲き乱れていた。ハクサンイチゲのように比較的丈の高いものもあるが、イワウメ、イワベンケイ、チシマギキョウなどは風の強い岩にへばりつくようにして花が咲いている。比較的風の弱い場所にはツガザクラやチングルマの群落もあり、また有名なクロユリも見ることができた。中には北岳でしか見られないというキタダケソウも見つけることができた。夏の初めのこの時期しか見られない高山植物の大群落であった。また幸運なことに、ブロッケンの妖怪(ブロッケン現象)も見ることができた。夕立が去った後、太陽の光が背後からさしこみ、山の向こうの霧の中に自分の影が映り、さらにその周囲には虹のような光の輪が現れたのである。二泊した後、未練を残しながら次の予定の仙丈ヶ岳や甲斐駒ヶ岳に向かった。北岳から美しい姿を見せていた山々である。
因みに私は3000mを超える多くの山に登ったが、富士山だけは登っていないし、また登ろうとも思わない。それは北岳の山頂から見た雲の上にそびえ立つ富士山の余りにも神々しい姿に魅入られたせいかもしれない。富士山に登れば、そのすばらしい山の姿は見られない。
さて、私がワンゲルに入った契機について触れておきたい。私は幸運なことに浪人もせずに九州大学医学部(厳密には当時は医学進学課程)に入学できた。医学進学課程の2年間は教養部のキャンパスで医学部や付属病院とは同じ福岡市内ながら、路面電車で1時間程離れていた。大学ではクラブに入りたいと考えていた、それも文化部ではなく、運動部に入りたいと。しかし、中学・高校を通じてきちんとした運動部には所属したことがなく、さらに自分の運動神経の鈍さは自覚していたので、なかなか希望するようなクラブはなかった。さらに、どの学部も医学部同様、本学と離れていたので、すべての学部の学生が一緒のクラブがほとんどで、当然レギュラーにはなれそうにもない。よくて補欠、普通ならベンチ外であろう。
ところが、幸いにも私の無理な注文をかなえてくれそうなクラブが見つかった。ワンゲルである。試合というものがなく、言ってみれば全員がレギュラーである。きつい思いをして山に登るというのはあまり好きではなかったが、日本中あちこちに行けるのも魅力的であった。ただ、入部の最後の決め手はクラブの勧誘をしていた2年生の先輩部員が小柄でかわいい女性であったことであろう。先輩に向かって、かわいいとは失礼かもしれないが、笑顔がとてもチャーミングであった。その女性のせいでもなかろうが、ワンゲルの人気は高く、毎年新人は40人前後で、1年生から4年生まで合わせると部員が100人を超えていた。
入部すると、教養部から程近い南公園、大濠公園や西公園などで早速トレーニングが始まった。特に南公園は大学から上り下りの急な坂道が続き、格好のトレーニング・コースであった。雨の日は大学の建物の階段を使った。しかし、キャンプの十分な指導の前にゴールデン・ウィークに合わせて春合宿が始まった。テントの張り方、たたみ方などを含めてキャンプのやり方は実践で覚えろ、ということだったらしい。8人前後に分かれた10以上のパーティがいろいろのコースを経て阿蘇根子岳の麓の牧場に集結して、最後は合宿参加者全員でキャンプ・ファイアを囲んで終わった。私が振り分けられたパーティは菊池渓谷から阿蘇の外輪山を回って、カルデラ平野を経て、根子岳の麓までを3泊4日で回るコースで、新入部員2名の他に、2年生から4年生まで8名で構成されていた。先輩からは実践の指導をしていただいた他、山での経験や大学生活などについての助言などをテントの中で聞くことができた。しかし、私の中で最大の収穫は自然を満喫できたことであった。阿蘇の外輪を巡る道の右手は大きな崖で、その先にはこれからの行程のカルデラ平野が広がり、その先に高岳、中岳や根子岳など中央火口丘群が、ちょうどお釈迦様が寝たような姿に見えている。左手には緑の草原が幾重にもなって連なり、九重連山に続いている。春の彼岸の前後に野焼きされた草原はゴールデン・ウィークの頃は牧草が数㎝に伸びて、その間に澄み切った暖かみのある青色のリンドウの花が一面に咲いていた。リンドウの花は秋に咲く種類が一般的だが、春に咲くハルリンドウもある。私はこの阿蘇の記憶が強くて、しばらくはリンドウの花は春に咲くとばかり思いこんでいた。
それ以来、いろいろのところに行った。その中でも九重に行く機会が特に多かった。春は全山燃えるように咲くミヤマキリシマの花を、秋は紅葉を、冬は雪景色を、それぞれ楽しみに行った。ワンゲルの合宿でパーティを組んで行くことも多かったが、一人あるいは二人で行く場合は筋湯にある九大の山の家や、坊ガツルの近くの法華院温泉を利用して泊まることもあった。
3年生の夏合宿ではパーティのリーダーとして北アルプスに行った。富山から入って、薬師岳を経て黒部川の源流にあたる雲の平に出て、西鎌尾根を縦走しながらコマクサの花を見て槍ヶ岳に登り、槍沢の雪渓を下って上高地に出るコースを歩いた。4年生の時には再度南アルプス最南端の3000m級の山である聖岳の南側に広がる聖平でニッコウキスゲの大群落に感激した後、北に延びる稜線を赤石岳に向かって歩いた。
その他、南の方では屋久島の宮之浦岳に登った。小雨模様の天気であったが、縄文杉やウィルソン株などの巨大な屋久杉の他、一面のヤクシマシャクナゲの花に歓迎してもらった。北の方では北海道の羅臼岳に登った。8月下旬、既にストーブの入ったウトロの民宿でヒグマが出るかもしれないとの話は聞いていた。しかし、目の前の美しい山の魅力に抗しきれずに登っていると、突然クマザサの向こうでガサガサと音がした。やはりヒグマが出たか、襲われたら逃げ切れないだろうなと観念した時に、登山道の先にひょっこり現れたのはウサギ(エゾナキウサギ)であった。ウサギの方でもこいつ何者かという感じで、しばらくこちらを見つめていたが、やおらゆっくりとクマザサの中に消えていった。羅臼岳の山頂からは眼下に知床半島の森と湖(知床5湖)が見え、その先にはオホーツク海から切り立った断崖が続く北の果てのすばらしい景色が広がっていた。国後(くなしり)島や択捉(えとろふ)島も海を隔てているが、すぐ近くであった。
入部したての頃は先輩や同僚に刺激されて有名な山や高い山に登りたいという気持ちが強かったが、次第に景色であれ、美しい花であれ、かわいい動物であれ、自然を満喫することが目的のほとんどを占めるようになっていった。それをはっきり自覚したのが、南アルプスの北岳に行った時ではなかろうかと思っている。山頂まで行かず、途中の美しい景色と野の花に満足して帰ったこともあった。その後、イギリスに留学する機会があったが、ロンドンだけでなく、どの町に行っても市の中心部や交通の便利な郊外のいたるところに、自然を満喫できるよう工夫されている公園があるのは驚きであった。現在では体力、気力と時間的余裕を失って、高い山に登ることはできないが、身近な自然に喜びを見いだしている。また美しい自然を映した番組や、動物が一生懸命生きている番組をテレビで見ることも大きな楽しみである。これも学生時代にクラブで自然のすばらしさを教えてもらったお蔭だと思っている。