久留米大学医学部 放射線医学教室

海外留学記

MD Anderson Cancer Center and Kuakini Medical Center

放射線医学教室 淡河恵津世

早渕教授のお許しをいただき、2006年4月より9月までの約6か月間、アメリカのテキサス州ヒューストンにあるMD Anderson Cancer Center(MDACC)およびハワイ州ホノルルにあるKuakini Medical Center(KMC)とThe Queen’s Medical Centerに留学する機会を得ました。6か月間という短い期間でしたが、日米の医療システムの違いを学ぶ大変貴重な時間と経験でした。病院における研修の詳細は平成18年度久留米大学在外研究員報告として久留米医学会雑誌に報告していますので、ここでは、留学おもしろ話(早渕教授のリクエストにお答えして)にしたいと思います。

とはいえ、何をしたかの概略はお伝えしないといけないので、若干研究員報告と重なりますが、私の留学珍道中としてご報告いたします。以前に教授より留学の話がでたことがありましたが、家庭の事情を含めタイミングが悪く、「留学の夢は次の世代の先生たちに」と思っていました。ですから、何の知識も準備も無いままに行ったわけです。人の運命は面白いもので留学のきっかけは、平成18年のASTRO(American Society for Therapeutic Radiology and Oncology)に演題を出し、落とされ、RSNA(Radiatiological Society of North America)にまわされたのが始まりになります。


(写真1:Komaki教授の部屋)

12月のRSNAに突然行く事が決まり(詳細の報告は昨年の連登源に内山先生が報告)、発表しましたが、その時、JATRO理事で忙しい教授が3泊5日でシカゴに来てくださり、「アメリカで活躍している日本医師」の講演のレセプションに御一緒した席で久しぶりにKomaki教授(写真1)とお話したのが、今回の留学の話の第一歩でした。Komaki教授は広島大学を卒業後、渡米されて現在はRadiation Oncologyの胸部放射線治療教授である素晴らしい先生であると共に、ChairmanであるCox教授の奥様でもあります。

私がKomaki教授と話をした時には「長期が無理ならば、1週間でも2週間でもいいから、一度見にいらっしゃい」という気軽なお誘いだったと思いますが、帰国後に教授から「いいチャンスだから、6ヶ月行ってきたら?」と言われ、私は「もお~そんなこと言われても、どうすると~」という気持ちでした。CVの意味もわからず、ビザの種類も知らず、MDACCからは4月からのプログラムでと連絡が来るし、夫には言えず、何から手をつけてよいのやら、、、とりあえず、患者さんの治療計画をしなくてはっという時間が過ぎました。テロ以来、ビザの申請が難しくなり、アメリカの書類の状況も大変だったため、通常一番よく使うJ1ビザではなく、B1ビザ(給料は日本より出て、家族なし、ビジネスで渡航、期間6ヶ月、手続きしたら1年という規約のビザ:私にピッタリ)で行く事になりました。

まず、平成18年4月から7月中旬までの期間、MDACCのRadiation Oncologyで、乳癌・小児癌・脳腫瘍に対する放射線治療を研修しました。日本からテキサス州ジョージブッシュ国際空港までは、成田空港からコンチネンタル航空直行便で約12~13時間です。そして、MDACCは空港から車で1時間くらいかかる巨大医療地区の中の1施設です。この医療地区は心臓血管系で有名なBaylor College of Medicine(Michael E. DeBakey Medical Center)、Texas Medical School、Texas Children’s Hospital等たくさんの医療施設が立ち並ぶ驚くべき広さでした。実際に体感するMD Anderson Cancer Centerは、日本で理解していたよりもはるかに大きく、人を引きつける力を持っており、私はその歴史を知りたくなりました。

Monrce Dunaway Anderson(1873-1939)はヒューストンで綿花関係で成功した銀行家でした。1907年子供のいなかった彼は、「健康、化学、教育を含めた病院をつくる投資をしよう」と決意し、MD Anderson Foundationとして寄付を始め、以後死ぬまで多額の投資をしていったのでした。1943年当初はボランティア医師によるパートタイムのクリニックだったようです。1946年外科医であるDr R Lee Clarkが最初の常勤医としてテキサスに来て以来、病院は急速に発展してゆきます。その中で、放射線治療は比較的早い時期より導入されていて、1950年Cobalt60を用いてアメリカ初の放射線外照射を行い、1952年Radiologyに論文発表されています。


(写真2:MDACC正面玄関)

1955年にはUniversity of Texas MD Anderson Hospitalとなり、現在に至っているようです。施設のあちらこちらにピンク大理石が使用されていますが、これは、Dr Clarkが学生時代ヒッチハイクで移動している時にこの大理石を見て癒しを感じて感動し、実際に自分が病院建築に携わったときに是非とも使いたいと思ったという話を読み不思議な気持ちで眺めていました。そして、私もまたMD Anderson Cancer Centerの魅惑にとりつかれた人の1人であると感じながら、中心となる病院(写真2)を見上げて毎日を暮らしていました。とここまで書くと、スムーズな滑り出しという感じですが、そう簡単にはいかないものです。

4月末に渡航して、まずチェックインという病院に入るための手続きをします。5月1~3日にオリエンテーションがありますが、これは毎週月曜日にあっていてMDACCで新規に働く全職員に対するものです。3日間も?と思ったのですが、内容は雇用保険について、UT Policeからの自己防衛の仕方についての説明、シャトルバスの利用の仕方、セクシャルハラスメントについて等、今までこのような話を聞いた事がないので、興味深く聞きました。その後、健康センターのような所に行き、写真付きIDバッジ(コレは建物も中に入る時の鍵の代わりにもなり、帰国の時のチェックアウトの時に返却しなければなりません)の手続きと半強制的にツベルクリン反応テストをしなければなりませんでした。そして3日後にはしっかりと強陽性に判定が出てしまいました。再度保健婦さんに呼ばれ、胸部写真を撮るように言われ、画像センターに行き、一般の患者さんに混じって胸部写真を撮ったり、日本から以前の胸部写真やCTを取り寄せたり、感染症内科の先生に説明(予定外の英会話を強いられた私)しに行ったり、その先生のクリニックに診察に行き喀痰検査をさせられたり、とハプニング続きでどうなることやらと思いましたが、2週間後に問題ないことが証明されたようで、私のクリニック見学が再開されました。

この病院は“Making Cancer History”というだけあって、癌治療に関するあらゆる部門が細分化されて動いていました。そして、驚くことに80~90%が外来で治療されています。このシステムは、日本とアメリカの保険制度の違いだと思いますが、私の滞在していた施設にも患者さんが点滴をしながら生活しており、定期的にシャトルバスで通院していました。全米より治療に来る関係上、病院の周囲には(値段は様々ですが)短期から長期に利用できるシャトルバス送迎つきの宿泊施設があったり、キャンピングカーで寝泊まりしたりと外来通院の仕方も様々である一方、裕福な人専門の入院施設完備の超高級病院があるという日本では考えられない環境でした。そして、患者さんは病院に来るときに自分のファイルを持ち歩き、結果と主治医の名刺を必ずもらっていました。特にCancer centerだからかもしれませんが、完全告知、納得して治療方針を決めていくという方向性には多少の驚きがありました。恐らく、アメリカという多民族国家であるが故のシステムなのでしょうが、単民族である日本人は同じ状況で治療した時に果たして自分で自分のことを決めることができるでしょうかと思いました。


(写真3)

私が研修をしたのは放射線治療部門(Radiation Oncology)でした。癌治療における放射線治療を受ける割合は、アメリカで60~70%、日本では20%といわれています。日本における放射線治療の認識がまだまだなのだと痛感しました。一般的な放射線治療機械はリニアックというX線治療装置ですが、MDACCは25台以上のリニアック装置を保有し、年間5,000人以上の癌患者を治療しているそうです。久留米大学はというと、2台のリニアック装置で年間800~900人の治療をしていますので、いかに大きいかがよくわかります。そして、80%以上には強度変調放射線治療(Intensity-modulated Radiation Therapy : IMRT)が用いられていました。

2006年5月からは陽子線治療センター(写真3)も稼働を始め、年間3,000人を陽子線で治療しようと考えているとのことです。この陽子線治療に関しては約4年前よりプロジェクトが組まれていて、日本の企業であるHITACHIが機械と技術を提供していました。


(写真4)

クリニックでは、Thomas A Buchholz教授(2007年3月から放射線治療部門の主任教授)の乳癌チームとShiao Y Woo教授の小児・中枢神経チーム(小児腫瘍は小児脳腫瘍がある関係上、中枢神経系の腫瘍(多くは脳腫瘍)と同じチームでした)で研修しました。システム的に臓器別であり、他の部門のクリニック行くときには、プログラマーの人に相談して、その部門の教授もしくは助教授の許可を得なければならなかったため、この2つのチームにしか行きませんでしたが、カンファランスや教育講演等には自由に行けたので、色々な話を聞けて勉強になりました。

その間に6月1日~5日までアトランタで開催されたASCO(American Society of Clinical Oncology)にも行き(写真4)、外科の唐先生の発表も聞けました。アトランタまでの飛行機のチケットをいかに安く見つけるか等(日本では医局の児玉さんに頼めばOK!なのに)自分1人しかいないと何でもできるのかもと思いながらのASCOへの学会旅行でした。この学会は全米から腫瘍医が集まってくる巨大な学会で、目的を持って聞きにいかなければ疲れ果てるだけになってしまいます。面白かったのは症例呈示をして数人の腫瘍医よる治療方針の討論会でした。


(写真5)Prof. Cox &smp; Komakiの別荘

Komaki先生の別荘にもお招きいただき、Cox先生、古谷先生ご家族、今葷倍先生(写真5)と優雅な日曜日のランチをいただきました。この別荘は、Cox先生とKomaki先生が各国に講演に行かれたときに買ってきた品々や膨大な量の書物、そして素敵なゲストルームや和室があり、とても素敵だったのですが、お二人とも最近は忙しく、なかなか行けないとおっしゃっていました。


(写真6)ハワイでは白衣の代わりにアロハです


(写真7)

メキシコ人の街で迷子になってスペイン語しか通じず困ったことや、タイヤが日曜日にパンクして困ったこと等、珍事件はたくさんありましたが、銃を向けられたり、拉致されそうになったり等の恐い思いをすることはなく、ヒューストンは住みやすい良い町だったと思います。
7月中旬ヒューストンから1週間ほど日本に帰国した後、10月初めまでの間、久留米大学第1外科出身の町教授(写真6)に紹介していただき、放射線治療(Dr Mark T Kanemori)と乳癌の放射線診断(Dr Alvin K Ikeda)について勉強しました。Kuakini Medical Center(写真7)およびThe Queen’s Medical Centerでは、放射線治療全般、特に前立腺癌(外照射とImplant therapy)、IMRTのしくみ、日米の放射線治療の違い、Tomotherapyについて研修しました。

Kuakini Medical Centerはホノルル国際空港とチャイナタウンの間の山手にあり、ハワイ州という場所柄、日系アメリカ人の先生をはじめ、多くの日系人のスタッフが働いていました。ハワイ在住日本人の患者さんの微妙な日本語のニュアンスが通じにくいという時には、時々医学用語通訳に借り出されたりしました。Dr Kanemoriが地元のサーファーだったり、前立腺Implant therapy を教えてくれたDr Ledererの奥様が福岡出身だったり、小児癌のチャリティ動物園1日貸切りに参加したり、旅行のハワイでは味わえない経験ができました。放射線治療スタッフの送別会に和食レストラン(Natsu no Ie:夏の家)に行ったとき、皆にご飯をついであげていたところ(まあ、日本では普通の事ですが)、「ハワイの奥さんはそんなことしないよ、皆、食事だけ作って、あとはビール飲んで、夫がサービスする」と言われました。私が「日本は男性が最初に歩いて女性が後から歩く週間がある」というと驚かれました。今更そんなに面白がらなくてもいいのにと思うほど、皆、日本に興味があるようでした。また、日系人はfirst nameはUS name、middle nameは日本名、last nameは元々の名字なのだそうです。でも、最近はmiddle nameを持つというジェネレーションをやめる人も増えてきたそうです。

USでの生活は、何となくゆったりとした時間の中での研修でしたので、帰国後しばらくはモタモタしていましたが、(まあ期間も短かったので)すぐに日本時間に戻され、時々、あの生活に戻りたい・・・と思いつつも、日本語で生活できることに感謝して毎日を送っています。短くて濃厚なUSでの経験が将来の自分と他の皆様へ役に立つことを信じて、新たな気持ちで頑張っていきたいと思います。

最後になりましたが、このような貴重な機会を与えてくださいました早渕教授をはじめ教室の先生方、Komaki教授、町教授に心より感謝申し上げますと共に、留学の資金援助をいただきました久留米大学医学部、久留米大学放射線科同門会の諸先生方、私の不在中治療センターで頑張ってくださった後輩の先生とスタッフの皆様、そして影ながら応援してくださった多くの方々に深謝いたします。

久留米大学医学部放射線医学教室
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